月明かりにヤモリ

Moonlight Gecko

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老人と湯

~ 麗しの島、台湾の旅 ~
1. 小汚いバックパッカーとダーティー兄ちゃん
2. トカゲたちの異なる境界線
3. 極彩色 Richly colored
4. 翡翠の純心
5. 蝦蟇が来たりて、夜は更ける
6. 翡翠の邪心
7. 谷を渡って飾り付け
8. 木登り蜥蜴の陰と陽
9. 至高のグルメ
10. 色とりどりの花咲き誇る
11. 斑蛇の明と暗
12. 既視感のオアシス
13. 蓮池や 咲いては消える 亀の華
14. 鼻先蛙は蛇の気配
15. モノクロームの鎮魂歌
16. 最終夜の晩餐
17. 老人と湯



 異国の地での初めてのフィールディングは予想していたものよりも素晴らしく、それがまるで走馬燈のように思い起こされる台湾最終日。朝方にある程度の荷物をまとめ、ささっと水着に着替える。海水浴に行くのかと思われそうだがそうではない。



烏来の街
烏来の街


 先の記事でも書いたように、我々が主に拠点としていた烏来は温泉湧き出る山間の集落で、そこここと天然温泉が湧いている。烏来という地名も現地タイヤル族の言葉で “ 湯気の立つ水 ” という温泉の意味で、街の川辺に無料温泉があったりもするため、これまでの汚れや疲れを洗い流そうというわけだ。
 受付や脱衣所があるわけでもなく、勝手に入って勝手に出られる自由な混浴温泉 【 烏来熱力温泉 】 が、この旅でのお風呂ということになる。事前に調べておいたので、入浴条件である海パンを履いてレッツ、バスロマン。



温泉
烏来熱力温泉


 このような感じで川の真横に作られている。無料といってもテキトーな風呂ではなく、手作りのちゃちなサウナやかけ湯、そしていくつもの石造りの湯船が点在している公衆浴場で、地元の台湾人たちの憩いの場になっているようだ。
 入るとまずかけ湯があり、誰が持ってきたか、洗剤や食品なんかを入れていたであろう2 Lくらいの空のプラスチック製ボトルが、上部を切り取った状態で置いてあるので、それを桶代わりにしてジャブジャブ浴びる。このプラスチック製品のリサイクルであれこれするのが、アジア風情があって私は好きだ。




拡大温泉
拡大写真



 点在する小じんまりした湯船のいくつかは家族連れや団体さんで満席状態だったので、大きめのところにコソっと3人で間に入らせてもらう。


 「 くっは~、こりゃあ極楽。 」


 車中泊だったので体を洗うといっても汗ふきシートで全身をゴシゴシするくらいなもんで、約4日振りに入るしっかりとした湯は心底気持ちが良かった。それでもって 【 千と千尋の神隠し 】 のモチーフになった台湾の地で、湯のありがたみを感じられたのはポイントが高く、腐れ神が如く小汚い姿でやってきた我々も、 「 よきかな 」 と清められた。
 個々の湯船は温度にバラつきがあり、最初に入った湯はそれなりに高い温度帯であった。周りの現地の方を観察していると、ある程度体が温まってきたら目の前の川に入って体を冷まし、そしてまた湯に浸かるという流れを繰り返していたので、我々もその “ 烏来流 ” の入浴方法にならい川へと入水。

 緩やかとはいえそれなりに流れがあるので設置されたロープや岩肌に掴まりながら、足がつかないところまで泳いで遊ぶ。川で泳ぐなんていつ以来だろうか。足のつく深さでのんびり冷やしているのは年配が多く、地元の子供らはきゃっきゃして泳いだり、浮具を使って漂ったりもしていた。
 なんだか抽象的なイメージだが “ 田舎に帰った夏休み ” を堪能したようで童心に帰った気分。そうしてある程度クールダウンしたら再び湯に浸かる。 「 くはぁ~ 」 とおじさんのようにため息が自然とこぼれてしまうのは、童心に帰っても体は老いている証拠だろうか。


 改めて入りなおす温泉の気持ち良さを堪能しながら、今回の旅の成果や思い出を話していると、どこから聞きつけたか1人のじいさんが話しかけてきた。それもなんと日本語で。


 「 日本人が来るとは珍しいネ 」


 どうやらこの烏来熱力温泉には地元民が多く訪れるものの観光客の姿はほとんどなく、普通は宿の温泉に行ったりするので外国語を話す我々がこの温泉に来ていることが珍しいとのこと。なのでワイワイと湯に浸かっている日本人は目につくらしく、 『 珍妙な日本人が来ている 』 という噂がめぐりめぐってじいさんの耳にも届いたようで、どれどれと様子を窺いに来たらしい。
 じいさんの話す日本語は私たちの故郷で話していても違和感がないほど流暢で、それでいて物腰の柔らかいしゃべり方なのでとても温かみがある。久しぶりに聞く自分たち以外の日本語 ( それも予想外の場所で ) に安心し、海外ということでどこか心の隅にあった警戒心さえ解けて、いろんな話をした。



私たちの旅の目的のこと

台湾のメシがうまいこと

現地の人たちが優しく親切にしてくれたこと

目の前の川は水量が急に増えて危ないこと

この温泉にはほぼ毎日来ていて、じいさんが83歳なのに元気なのはこの温泉のおかげだということ

毎日来ているのは、家にいると奥さんに怒られてばかりでうるさいからということ

日本も台湾も同じで、奥さんには尻に敷かれてしまう文化があること

若い頃、日本に台湾が統治されていた時に日本語を学んだこと

この温泉も日本人が整備してくれたこと

だからかけ湯が作られていること

じいさんが日本人に感謝していること

また台湾を訪れたいこと




 とにかくじいさんと話した。水着は履いているが、まさに裸の付き合いでいろんな話を聞かせていただいた。台湾人の親切さや心の豊かさ、文化、歴史など、現地の方の生の声が聞けたのは本当に良い経験だと思う。
 それでいて最終日にこれだ。まるで旅番組のシナリオかのような締めくくりで、いつエンドロールが流れてきてもおかしくはない。本当に良い旅だったと心まで洗われた温泉だった。
 じいさんにこの旅1番の 「 謝謝 」 と 「 ありがとう、また来るよ 」 と日本語でお礼を言って温泉を後にする。



yaris
レンタカー Yaris ( 海外版 Vitz )  ナンバー 【 ラットお悔み 】 号


 帰りの飛行機は昼前なのであとは空港でお土産でも選びながら待つ予定。帰り仕度を整えたら、レンタカーを借りる際にダーティー兄ちゃんが教えてくれた、ナビに登録済みの店舗住所を目的地にセットして烏来を後にする。
 すっかり見慣れた右車線の道路に粗暴な運転。それに順応して余裕でハンドルを握るTOGUくん。高速道路を一気に走り抜け、訪れた景色たちをひとつ、またひとつと追い越していく。車内では先程の温泉のやりとりがいかに旅の締めくくりに相応しかったかで話題は持ちきりだ。


 そうまさにこれで旅が締めくくられれば最高にできたシナリオだったのだが、最後の最後で旅の神様は私についた疫病神を見逃さなかった。




 ナビの示す目的地までの距離があとわずかになったので、近くのガソリンスタンドで給油。いつものように 【 95 加満 】 ( レギュラー満タンの意 ) と紙に書いて店員に見せる。待っている間周りの景色を見てみると、高層ビルが立ち並びなんだか初日の風景とはえらい違う。
 「 これじゃあまるで台北市内だなぁ 」 と思い、一瞬にしてイヤな予感が私を襲う。


 実は台湾北部には2つ空港があり、行きで到着した 【 台湾桃園国際空港 】 と、それとは別に 【 台北松山空港 】 がある。もちろん帰りの飛行機も行き同様に桃園空港であるわけだが、ここまで書けばどのような事態が発生しているか勘の悪い人でも想像できるだろう。


------------- そう、我々は桃園空港ではなく、松山空港を目指していたのだ。


 わかりやすく言えば成田空港に行くはずなのに、羽田空港を目指していたということ。11時桃園空港発の飛行機に乗らなければならないのに、9時過ぎくらいに台北市内で彷徨いながらその事実に気がついた。


 「 あ、終わった ・・・ 」
 冷や汗が全身の毛穴から噴き出し、頭は真っ白。


 原因はナビに登録されていた目的地が桃園空港と松山空港の2店舗分の住所があり、先頭の会社名しか見ずに私の人差し指が 『 えいや 』 と押したことによるもの。------------------ 実は桃園空港店は次のページにあった。
 この時ばかりは本当に申し訳ない気持ちで押しつぶされそうになった。自分だけの問題ではなく友人たちにも迷惑をかけ、さらにはもう学生ではなく社会人になった我々は、翌日には仕事に向かわなければならない責任もあるわけだ。
 謝ったり後悔しているよりも、とにかく現状は何か対策をとらなければならないが、自分の不甲斐無さに後悔しかなかった。


 ツアーでもない、コーディネーターもいない好き勝手の旅なので、私には頼れる人が1人しか思いつかなかった。それはレンタカー屋の日本人オペレーター。
 しかし 「 店舗を間違えてしまったのですが、そこで返却して桃園空港まで送ってくれませんか 」 と頼んでみるも、それはできないとのこと。とにかく桃園空港の店舗まで返してほしいとの事だったので、台北市内からどれくらいかかるか尋ねてみると 「 だいたい1時間 」 という返答。

 今から桃園空港に着いても10時半くらい。基本的に国際空港のチェックインは1時間半前までにしなくてはいけないが、大雑把に計算しても30分前の到着。 絶望が襲う。






 それでも私たちには桃園空港へ向かう以外の選択肢がなく、再び高速道路に乗り車を走らせる。向かう途中、桃園空港や航空会社に電話をしてみるも、仕様なのか音声ガイダンス以降が進まず連絡もできなかった。打つ手はすべてなくなり、私はおそらく半べそかいていた。
 そんな空気を察してか、FくんとTOGUくんは文句も言わず、戦略を練りつつ車を運転してくれた。

 先程書いたが最終日の運転手はTOGUくんが買って出てくれたのだが、そのドライビングテクニックは現地の人と遜色ないほど、いやむしろそれを凌駕しているといっても過言ではないほどになっていた。強引な車線変更や背後からの速いスピードの車を見極めたり、荒波の高速道路でルートを間違えかけた時に無理やり2車線分の車線変更をして正しいルートに乗ったり、ありえないくらいかっ飛ばしてくれたのだ。
 その超絶テクニックのおかげで、交通事情に詳しいレンタカー屋が1時間と読んだ道のりを、なんとわずか30分という大爆走で駆け抜けたのだった。


 それでもレンタカー屋に着いたのが10時ちょっと前。私たちが持っているのは格安航空LCCの航空券なので、噂では出発1時間前には自動キャンセルになるなんて話もあった。
 とにかくレンタカー屋の店員に急いでいる旨を伝え、ダーティーか傷かを早々にチェックしてもらい空港まで送迎してもらった。送迎車は今まで乗っていた 【 ラットお悔み 】 号。
 帰りはダーティー兄ちゃんではなく、ちょこっとふっくらした店員だったのだが、こいつがまたおっとり系。台北市内でガソリンを満タンにしてきたので桃園空港まででいくらかは減っていたのが気にかかっていたので、返却時に 「 ガソリン OK ? OK ? 」 と聞いたときは 「 OK ~ OK ~ 」 と言っていたくせに、11時の便だと伝えたはずだがスル~っと送迎途中にガソリンスタンドに in 。


 『 はぁ~ ? てめぇ状況わかってんだろうよ !! 』 とブチギレる気持ちを抑え 【 95 加満 】 が終わるのを待つ。この時ほど給油が長いと感じたことはない。永久に思える待ち時間を終えると、 「 ○○ 元だってよ 」 と私に掌を差し出してきた。
 いやわかるよ、ガソリンをフルにして返さなきゃいけないのは。でもさでもさ、状況ってもんがあるでしょうよ。お金なら払いますから、ガソリンスタンドなんか寄らないでとっとと空港向かってくれよ !! いや、もちろんこちらが全面的に悪いんでね、何とも言えませんが。


 想定外のタイムロスを食わされ空港到着が出発の50分前。道中Fくんから 「 オレたち3人分のパスポートと航空券を君に託すよ。荷物はオレらが降ろして持って行くから、とにかく君は着いたら出発カウンターまで走ってくれ 」 と提案されていた。 『 死に物狂いで走るってこういうことか 』 と後で実感したが、この時はただただ祈るように3人分のパスポートを握りしめて走った。
 カウンターに着くなり 「 很抱歉 ヘンパオチエン !! 」 ( ごめんなさいの意 ) と叫びながら航空券を差し出すと、受付のお兄さんが本気で航空券と時計とを二度見して呆れていた。半べそかいて 「 Please ! Please ! 」 と懇願しまくって、 「 やれやれ、さっさと荷物を持ってきてくれ 」 としぶしぶ了承していただき、なんとかチェックインに間に合わせてもらった。
 時刻にして出発45分前。 はぁ、助かった ・・・


 デカい荷物をいくつもぶら下げた2人と合流し、店員に呆れられながらもなんとか荷物も無事預けられた。3人無事にチェックイン完了。
 そして安堵からだろうか、荷物を預け終わった瞬間に、思わず空港ロビーで土下座してしまった。2人は迷惑がっていたが、そうでもしなければ私の気持ちは収まらなかったし、感謝の意でもあった。本当にダメかと思ったが、2人のおかげ ( TOGUくんの爆走とFくんの作戦 ) でなんとか帰国できることになったのにはただただ感謝でしかない。

 せっかく帰る前に温泉入ってさっぱりしたはずなのに、冷や汗と猛烈ダッシュでTシャツはすでにグッショリ。それでも帰れる幸せを噛みしめて出発ロビーへと向かう。搭乗ゲートを通過するまでの僅かな時間しかお土産を買う時間がなく、2人には本当に申し訳ないのも後悔の1つだ。


 ようやく機内の自分の席に座って改めて思う。 『 ちゃんと帰れるんだ 』  LCCの狭い座席でも私にはとても安心感のあるように感じた。
 「 散々不安だったからこりゃあ帰りの飛行機は寝れないな 」 とか出発までの間に言っておいて、離陸後すぐに寝てしまったのはそんな安心感に包まれたからだろう。目を覚ませば見慣れた土地、日本だ。


 こうして私たちは予定通り、無事に日本の土を踏むことができた。今回の旅は生き物が面白いだけでなく、食べ物や現地の人々、そして様々なハプニングがこの台湾旅を濃い思い出にしている。
 この旅を通じて感じたこと、思いを巡らせたことは多岐に渡り、私の人生にとても大きな影響を及ぼしている。そしてなにより台湾という土地の魅力にどっぷりと浸からせてもらった。

 日本統治の時代があり、それを色濃く反映したものや人がいて、互いが互いを想っているのを強く感じた。2011年の東日本大震災の時、台湾はとてつもない義援金を送っていただき、救助隊を派遣してくれた。というのも、1999年に台湾中部で起きた921大震災の時に日本が救助に来てくれた恩を感じての行動のようだ。
 そうして恩返しは繰り返される。私が台湾から帰国後の2016年2月、今度は台湾南部が地震に見舞われた。再び日本の救援が行なわれ多くの台湾人に感謝をされた。
 さらにはつい先日の、熊本での大震災。台湾はまた義援金を出してくれるという。日本と台湾には強い絆があるのだ。こうして我々は、台湾と恩返しをし合いながら共に歩んでいるのだと感じる。


 『 良い旅だった 』 だけでは終わらない、台湾という要素が私の中で芽吹いた旅であった。



まとめ


 これにて台湾記事終了。長らくご愛読いただきましてありがとうございました。
 まだまだ紹介しきれていない生き物がいますが、お話としてはここら辺で。今後ちょこちょこ話題に出していきますので。

 そして一緒に台湾旅に付き合ってくれたTOGUくん、Fくん本当にありがとう。1人じゃあ大変なことになってたぜ。ということでまたいつか台湾に行きましょう。


 最高の旅に、謝謝。







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